【データ】
訪問年月日
2011年9月某日から3泊
宿泊プラン
パークスイート2泊+パークダブル1泊(+妻の家族宿泊用でビーチスイート)
ホテルHPから予約(15時チェックイン、11時チェックアウト 食事なし)
料 金
まあ結婚式やりましたので…参考にはならないと思うので非公開です。
【宿泊記録】
○準備は1か月間 結婚式の相談をしてから3ヶ月、延べ40通にわたるメールでのやり取りを経て、僕らの結婚式は徐々にできあがっていきました。
と、書くとものすごく順調そうですが、ベネッセハウスのMさんからの「奥様のお名前はなんとお読みすれば?」という内容のメールを引っ越しを理由に1ヶ月強放置したため、あっという間に残りの準備期間は1ヶ月に。業を煮やしたMさんからは、料理の予算、NG食材、ケーキ入刀はやるか、島なので美容師の手配、卓上装花のイメージ…等、たくさんの宿題が届きました。段取りはMさんにお任せしてとにかく目の前の宿題をこなすこと!当面とにかくこれに集中して取り組んでいったのでした。
とりあえず当初のプランとしては、料理の予算は15,000円程度。NG食材は、瀬戸内人なのに食べられない家族が多い牡蠣、妻がダメなわさびとたらこ、二人ともダメなからし、義父がダメな味噌とバターとチーズ…など。洋食なのにバターとチーズダメって大丈夫かなと思っていたら、さすがにバターはちょっとなら大丈夫かと聞かれました。ちなみにアレルギーだった場合は原料の大豆や牛乳も抜いたメニューにしてくださるそう。ヘアメイクは岡山側から美容師さんに船で来てもらうことにしました。
会食は夜。Mさんは式の内容についてもいろいろ提案してくださったのですが、我々夫婦の極度の地味志向に埋もれていったアイデアは数知れず。ほんとすいませんでした。
別途、僕らは自分たちでやらなきゃならんことを準備していきます。プロフィールビデオの作成は頼む人もいないので仕方なく自分で作ることにしました。ネットに自作の方法が出ていたりしたのですが、結局「ムービーシアター」というソフトを買ってきて作りました。写真も揃えて写真屋でデータ化してもらったり。また、総人数9名という超小規模な式ですが、案内状くらい出すかということで作って送付しました。家族それぞれへの記念品も用意し、僕らの結婚式はほぼ完成に近づいていたのでありました。
○台風接近 仕事をなんとか片付け、いよいよ結婚式のために東京駅を出発しようとしたその時、1本の電話が。ベネッセハウスのMさんからです。不吉な予感とともに聞いたその声は思いがけない展開をもたらしました。
「台風接近で島への船が出なくなります。どうされますか?」
そう、珍しい双子の台風が日本を席巻していたその時、片割れが高知沖で進路を変え、瀬戸内海に向けてまっすぐ北上していたのでした。ホテルはホテルで、モノレールで隔離されたオーバル棟を閉鎖する予定とのこと。つまり、予定していた部屋には宿泊できないことになります。船もいつ運航を再開するかは現時点で不明。とりあえず、翌朝9時台の船で島に渡ることはできますが、次にいつ島に渡れるようになるかは分からないということでした。
Mさんからの電話をいったん切った僕らは家族と連絡を取り始めます。明日みんな一緒に行くというのは都合的に無理なことを把握し、挙式の予定を当初予定していた日の翌日の昼に延期。とにかく時間を稼いで船の運航開始を待つ作戦としました。Mさんも快諾してくれ、当初オーバルに泊まることにしていた部屋をパークに振り替えてくれました。僕らは予定どおり翌日の最後の船で直島へ。暇そうだった妹も連れていってやることにし、祈るような気持ちで岡山に向かったのでありました。
○とにかく島へ 翌朝、どう考えても不穏な天候の中、直島に渡る我々。宇野港の船待合にはこの船で島に渡っても帰る船はない旨の注意書きが出されています。島にさえ渡れればこっちのもの。ホテルでカンヅメなんて、結婚式の心配さえなければむしろ理想といってもいいでしょう。変な高揚感の中、なんとかベネッセハウスに到着。とりあえずはひと安心です。
ホテル到着後、昼くらいまでは地中美術館がやってるということで、見学に。雨風がだんだん強くなってきました。激空きの地中美術館を満喫してホテルに戻ると、台風への備えが着々と進んでいます。パークラウンジの目の前にある、トーマス・シュトゥルートという作家の風になびく作品は動かないよう養生がされました。また、ベネッセハウスのランドマークにもなっている黄色いかぼちゃのオブジェはまさかの移動です。4人がかりで運んでいたのでかなり重いんでしょう。出迎えてくれたMさんから、実はあのかぼちゃは2号で、1号は昔の台風のときに波でさらわれて高松沖で見つかったとのことです。
だんだんと台風らしい天気となり、外に出られない中、当初予約していたスパメニューだけでなく、何回かスパを利用してしまいました。あとで知ったのですが、ホテルの宿泊自体もキャンセルがだいぶ出たようでそもそも宿泊者が少ない。そんな中、もうそろそろその日の予約を締め切るつもりでフロントに連絡を入れようと受話器に手を伸ばしたタイミングで僕からの予約の電話があったんですよ、とスパのTさんがおっしゃっていました。
普段は客室にないはずのテレビを設置してもらって天気予報を見ながら、翌々日の天気が回復することを願いつつゴロゴロと過ごしていたのでありました。
○挙式 迎えた挙式当日。朝から快晴。船も運航を再開したとの連絡もありました。両家族もなんとかホテルに到着し、準備は万端。いよいよ結婚式を始めます。美容師さんもわざわざ船でやってきてくれ、メイクをほどこしてくださいました。妻も義妹も若干ギャル風になっててちょっと面白かったです。
まずは挙式です。入場なんて恥ずかしいからいいです、と言ったので、時間になっておもむろに立ち上がる新郎・新婦。式は人前式風としました。司会は僕という驚愕の構成であります。
まずはプロフィールビデオの上映で結婚式の雰囲気にもっていきます。正直、プロフィールビデオが完成したのは出発する日の午前中。間に合ってよかったあ。さすがソフト様様で、ド素人が作ってもそれなりのものができあがりました。
事前にホテル内のシアターのようなところで上映してみたのですが、来館前に一度内容をチェックしてくれたスタッフの方が「何回も観たので、初めてお会いする気がしない」とおっしゃってくださいました。ありがたい話です。
誓いの言葉はベネッセハウスのレポート用紙に書いたものを二人で読み上げます。しかし、涙もろい妻は開始3秒くらいで泣き始め、そのあとは自分ひとりで最後まで読みました。妻の家族は義父以外涙もろいので、義母と双子の義妹もすでに涙ぐんでいます。結婚の挨拶に行ったとき、緊張しながら話し始めた瞬間に妻と義母が泣き出して挨拶どころではなくなったのを思い出しました。
その後、指輪の交換、結婚証明書へのサイン、ひとりひとり違った記念品の贈呈、となんとか形としては式のような格好になり、まあよかったかなと。締めの挨拶は別に用意していたエンディング用のビデオにメッセージを入れ、それで代えさせてもらいました。直接口に出して言うことも必要だと思う一方で、形に残すのもいいなと考えた結果です。ビデオの中身もなかなかのものだったんじゃないでしょうか、と自画自賛。そんな感じでささやかな僕らの挙式は終了したのでありました。
挙式後は会食に移行。台風の影響で食材なんかも心配したのですが、天候回復で何とかなったようです。メニューはもはや覚えていませんが、メールのやり取りの中に残っていたのでそれをそのまま掲載します。さすがに豪華メニューでそろえていただきました。
・鮮魚のマリネ
・サザエのブルギニヨン
・フォアグラのフォンダン
・大葉の冷製スープ
・オマール海老のポワレ
・牛ランプ肉 ソースポワブルヴェール
・ミロワール ショコラ
・コーヒー または 紅茶
途中、疲れたのか義父がひと休みするといったハプニングもありましたが、スタッフの方やMさんがつつがなく対応してくださり、大ごとにはならずに済みました。
挙式の日は日曜日で父親は翌日から仕事。ほんとは1泊してもらう予定だったんですが、まあ今回は天候のせいなので仕方ありません。妻の家族だけ1泊して、僕の家族は日帰りで島をあとにしました。もう一度ちゃんと連れてきたいなあといまだに思っています。
妻の家族はパークよりも海の近くにあるビーチ棟に宿泊。ここには泊まったことないので、遊びに行って中ですこし過ごさせてもらいました。ベネッセハウスのMさんの心遣いで、夕食はお弁当に。両家の家族とも楽しんでくれ、喜んでくれたようなのでもうそれが一番だったかなと。
帰る日の朝、これまた快晴の空を映す輝く瀬戸内海はそれこそ家族ごと僕らを祝福してくれているかのようでした。なんてね。
まだ第4弾の予定あり、です。
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